kotonohaananshuのブログ

中世日本文化をこよなく愛するブログ。偉人の名言名句や古典名著、茶道・能狂言・武士道・俳諧・日本庭園・禅(仏教)などについて書いていきます。来るもの拒まず、去る者追わず。

うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ。(良寛)


うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ。 良寛~『蓮の露』貞心尼



良寛の最期をみとった愛弟子、貞心尼の良寛歌集、『はちすの露』に収められた良寛の辞世の句です。

良寛の最晩年の法弟が、三十歳の美しい尼、貞心尼。二人の出会いから、良寛遷化までの四年余り、師と弟子は深く心を通わせた歌を互いに贈りあいました。
良寛と貞心尼、そしてその歌集『はちすの露』について、詳しくは下記リンクをご参照ください。


1. 良寛落葉の句碑 野島出版


2. 蓮の露(はちすのつゆ)


3. 良寛さんと貞心尼さんの師弟愛


4. 良寛さん から 貞心尼さん への手紙


5. 名言名句 第五十六回 良寛 死ぬ時節には死ぬがよく候



さて、良寛の病いよいよ篤く、危篤の床にあるわが師を悲しんだ、貞心尼の詞書と歌です。


 かかれば昼夜御かたはらにありて、御ありさま見奉りぬるに、ただ日にそへてよわりによわり行き給ひぬれば、いかにせん、とてもかくても遠からずかくれさせ給ふらめと思ふにいとかなしくて

 生き死にの境はなれて住む身にも さらぬ別れのあるぞ悲しき  貞

これに返した良寛の句が実質の辞世となりました。

 御かへし
 うらを見せおもてを見せて散るもみぢ  師

 こは御みづからのにはあらねど、時にとりあへのたまふいとたふとし

(『はちすの露を読む』喜多上 春秋社 1997)


人は臨終に当たって、何を隠し、何を取り繕う必要があるのでしょうか。
童と無心にまりをつき、在郷すべての人に慕われ、愛された良寛の<裏の顔>とはいったいどのようなものでしょうか。病の苦しさからついもらした弱音なのか。あるいは、決して人にはいえぬ隠し事でもあったのか。

良寛末期の記ともいえる、貞心尼の『はちすの露』には、そんなものは影すらもありません。
「おもての顔もうらの顔もぜんぶよく見ておくれ。良寛はみんなと同じ、弱くちっぽけな人間だけど、お前がいてくれて本当にしあわせだった」
と、尼の手を弱々しくにぎりかえしただけなのでしょう。


 焚くほどは風がもてくる落ち葉かな

一方、これは良寛、還暦の歳の句です。長岡藩主が、良寛を自らの菩提寺の住持に迎えようと庵を訪れた時、返事の代わりに差し出した句とされます。

「ありがたい仰せです。が、一日の煮炊きや暖をとるだけの落ち葉は、『それ良寛。今日の分じゃ』と、風が門前へ吹き運んでくれます。よって、朝夕せっせと庭掃きもせず、菜は近在の百姓がざるに入れて持ってきてくれる。托鉢にもずいぶんと前から立っておりませぬ。
年寄りで怠け者の良寛に、大寺のさばきは勤まりますまい。この儀はご放念くださいますよう」。
この良寛の句を見た藩主は、無言で庵を辞したといいます。

風の施しを受け、太陽の恩を受け、まさに自然のままで自ら足りる老僧の姿。
そして、この人は最期にあたって、生の枝からはらりと解き放たれ、うらを見せ、おもてを見せながら、本住である大地へと還っていきます。
やがて風がその落ち葉を運び、誰かの助けとなることを願って。