kotonohaananshuのブログ

中世日本文化をこよなく愛するブログ。偉人の名言名句や古典名著、茶道・能狂言・武士道・俳諧・日本庭園・禅(仏教)などについて書いていきます。来るもの拒まず、去る者追わず。

名言名句第七十二回 君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。

君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。 ~出典不詳。『槐安国語』に白隠の句あり

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江戸中期の禅の高僧、白隠慧鶴(はくいんえかく)の名句です。

臨済宗大徳寺派の祖、大燈国師の語録に、白隠が評語と下語を付した、『槐安国語』に収められています。(ただし白隠のこの句の出典は不詳とされています。くわしくは下記リンクを参照してください。)

 

良寛「君看雙眼色 不語似無憂」の典拠について(ぱぽ書房)

https://bit.ly/3rUbjy5

 

同書より、大燈国師の元の句(千峯雨霽露光冷から始まる、左の七字四行の句)と、それに付した白隠の句(右の君看雙眼色。不語似無愁以下の四行)をご紹介しましょう。

 

 

千峯雨霽露光冷   君看雙眼色。不語似無愁

月落松根蘿屋前   眼中無見刺。耳裏絶聞塵

擬寫等閑此時意   若識琴中趣。何勞絃上聲

一溪雲鎖水潺潺   莫嫌襟上斑斑色。是妾燈前滴涙縫

 

 

禅語はそもそも詩や文学ではなく、悟りを開くための修行として唱え、学ぶべきもの。

和歌や漢詩のように、解釈し、観賞するものではありませんが、時としてその語感の美しさに、祖師の深い教えに到達できなくとも、感動し、魂がふるえることがあります。

 

「君看よ双眼の色」も、禅修行者はもとより、古くから書家や文学者に愛唱され、度々引用されてきました。

もっとも有名なのが、良寛の書であり、二行双幅のものと、一行のものがあります。榊莫山はこの一行ものを良寛の「涅槃の境」と称しています。

芥川龍之介はこの句を好んで自ら色紙に書き、『羅生門』の扉を飾らせ、作中人物にも書かせています。

 

君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり。

 

人は悲しみや苦悩が深ければ深いほど、静かに澄んだ目をしているように見える。

名句の解釈は、語り手自身の底を見せてしまうものですが、今一度声にも出して味わってみたいものです。

 

『禅林句集』(岩波文庫)の解説では、禅に傾倒した詩人、高橋元吉の次の詩が、この句を思い起こさせるようだ、としています。

 

 

みづのたたえのふかければ おもてにさわぐなみもなし

ひともなげきのふかければ いよよおもてぞしづかなる

 

(『高橋元吉詩集』昭和37年)